PHOTO Kikuko USUYAMA
MODEL Hako OSHIMA
TEXT Eve TARK
enricaが大切にしている’縁’から生まれた「enricaの紡ぐ人とひと」 。Vol.6はモデルに女優の大島葉子さんを迎え、宇壽山貴久子さんの写真と共に紹介する連載がスタートします。Or紹介します。舞台は東京の外苑前。都会でありながら緑の多い静かな場所で、自然に溶け込むようなenrica revisitéの装いを身に纏った大島葉子さんの、穏やかに、しなやかに変化するストーリーをお楽しみください。
Kikuko USUYAMA Instagram @usuyama
Hako OSHIMA Instagram @hako_oshima
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人見知りだったあの頃の私へ
「子ども時代は人見知り。いまも社交的ってわけじゃないけどね。みんなと交われなくて、たいへんだったなぁ。遠足の前になると、お腹が痛くなるんです。いっつも。本当はみんなと一緒にいたいのに、人見知りで入れないでしょ、嫌だなぁって思うと、お腹がきゅーって。車酔いもする子だったから遠足のときはいちばん前の席。いつも先生の隣。そうすると友だちと話せないから余計に孤立しちゃう。臨海学校でカヌーの授業があって、舟でも酔うから、何もしなくていいよって言われたんだけど、何もしないと逆に酔うんですよ。お約束のように船酔いして、ボートで連れていかれて見学してた。なんだかこうして話すとかわいそうな子どもみたい。あぁ、あの頃の自分に教えてあげたい。そんなに抱え込まなくてもいいんだよって、ね」
ひとつ目の転換期
「思春期になると、女の子ってみんなそうだと思うんだけど、痩せたいって気持ちがあるでしょ。実際、私は痩せていたんだけど、それでも痩せたいって思ってた。そのときに、お腹が痛くなる=お腹を壊す=痩せるという発想にたどり着くわけ。高校生の頭の中っておかしいよね。けど逆にそう思うようになったら、お腹が痛くならなくなったから不思議」
「車酔いも、克服しました。大学のときは電車とバスで2時間以上かけて通ってたんですよ。慣れちゃった。麻痺したのかも。はははは。遠かったけど、一人暮らしって選択肢はまったくなかったですね。家が好きだったからかなぁ。まわりに友だちもいっぱいいたし。あっ、それは違う。いっぱいではないな。限られた幼馴染だけですね。笑」
最初の憧れ
「大阪生まれの大阪育ち。東大阪です。父親は公務員で、母親は専業主婦。姉と妹がいて、中学生まではおじいちゃんもおばあちゃんもいました。なんの変哲もない一軒家。家族とは仲が良かったなぁ。将来の夢は洋服のデザイナーになること。洋服が好きだったんですよね。デザイナーになりたかったから、京都芸術短期大学に入ったくらい」
「卒業して、子供服の会社に就職して、そしたらすぐにデザイナーとして働かせてもらって、それはそれで働き甲斐があったんだけど、社内で話し合いをしていくうちに、最終的には無難な仕上がりになっていくというか、結果的には私がイメージした洋服とは別物になってしまう。そんなことを繰り返しているうちに、働く意味が見出せなくなって、辞めちゃいました。1年で」
新しい夢
「モデルになりたいって思いました。突飛ですか? 大学時代からモデルの仕事をやっていたんです。でもそれは知り合いのスタイリストに頼まれてだったりとか、仲間うちで撮影の仕事をもらったりがほとんど。会社を辞めたことで、自分が何をしたいのかを考える時間ができて、私はモデルの仕事がしたいって強く思ったんです。背もそこそこ高かったし、痩せていたし、好きな洋服もいっぱい着ることができるし。動機は単純というか不純というか。はははは。でも、関西にいたままだと結局は身内でやることになりそうなので、将来的なことも考えて出した結論が、東京に行こう、だったんです」
巣立ち
「何度か上京して、伝手を頼りながらモデル事務所を紹介してもらって、最終的に東京で生きていこうって決断をしました。親には事後報告。当たり前のように反対されましたね。親族会議じゃないけど、叔父と叔母に相談したら、いいじゃないかと。叔父と叔母は私たち姉妹を可愛がってくれていて、好きなことに向かって頑張るんだったら応援しようと言ってくれたんですね」
「私、積極的に動いたりする子じゃなかったんですけど、あのときは東京に行くっていう気持ちが勝っていたのか、本当に後先を考えなかった気がします。21歳でした。もしあと1年遅かったら、きっと東京には行かなかったと思うなぁ。現状に満足というか、現状を受け入れちゃったと思うんです。なぜかあの時だけ、自分が突き動かされた気がしますね」
私と、服と、淡い思い出
「洋服に興味を持ったのは、小学校のとき。きっかけはわからないけど、ファッション雑誌をよく読んでいて、切り抜いたりしていました。欲しい服が近くに売ってないから、自分でつくるようになって、生地を買ってきたりして。高校生のときはアヴァンギャルドな格好をしていたと思います。若気の至りですね。ふふふふ。さっき言ってた幼馴染の子、その子も洋服が好きで、ふたりで雑誌を読んでは洋服をつくってました。大学は別々だったのに、就職は一緒だったんですよ。結局は彼女も会社を辞めちゃって、スタイリストになりました。小学生の頃から、将来は一緒にブランドをやろうって秘かに燃えていたのに、叶わなかったな」
孤独と葛藤
「東京で一人暮らしを始めてはみたものの、寂しいわけです。知り合いもいないし、ひと言も喋らない日もあったりして。オーディションも受からない。落ちまくりです。ちょうど、そんなときです。父が癌で亡くなったのは。姉も妹も結婚をして家を出ていたから、母親が一人になるし、私も東京でうまくいかない毎日だったこともあって、大阪に戻ることにしたんです。事務所も辞めて、部屋も引き払ってね。でも自分の中では、後悔というか、私、結局、ちっとも前に進んでないなっていう、もやもやというか、いじいじというか。大阪に戻って、姉にちょっと愚痴じゃないけど、そんな感じで話したら、母親のことは心配しなくていいからと。私がなんでもやると。あなたは東京に行って、悔いのないようにもう一度、頑張りなって。背中を押されて東京に舞い戻ったんです」
再始動
「東京に戻っても、1年間は原宿のDEP’T STOREでアルバイトをして、暮らしていました。とにかく独り立ちしないといけないなって。モデルの仕事どころじゃなかった。だって事務所も辞めちゃってるし。そんなときに彼氏ができて、一緒に暮らし始めて、そこから生活を立て直していった感じです。事務所にも入り直して、オーディションを受けるようになって。そう、結婚もしました。でも、離婚しましたけどね。あのとき、ちょっとだけ人生が動き出した感じがします。30歳を前に、コマーシャルが決まるようになって、ギャラで食べていけるようになって。それまではアルバイトがメイン。モデルの仕事はたまにしか決まらないから、まわりにはモデルの仕事をしてますなんて言えなかったですね」
ぬかるみ
「29歳のとき、スカウトされるんですよ。女優に興味ない?って。いや、興味ないですって答えたら、歌はどう?って。そのときに所属していた事務所に相談したら、挑戦してみたらって話になって、俳優さんの事務所へ移るわけです。でも、仕事はない。結局はモデルの仕事をしながら、歌のレッスンに通ってコマーシャルソングを歌ったりしてました。あとはイラストの仕事。芸大を出ていたことが役に立って、動物占いの本を描いたりしながら、10年が過ぎていくんです。ただ、収入はぐっと上がったんですよね。でも、自分の中ではもやもやがあって、モデルも中途半端で、歌も付け焼き刃、イラストはなんだろう、よくわからないけど、仕事を訊ねられても答えようがないじゃないですか。消化できない10年でしたね」
遅咲きの芽生え
「もうすぐ40歳ってときに、ちょい役が足りないからということで、映画に出演することになったんです。喫茶店で注文をする台詞がひと言だけの役なんですけどね。これまではカメラ目線というか、カメラがあることが前提での仕事だったわけです。でも映画はカメラを見ちゃいけない、カメラを意識しないってことが新鮮でしたね。役者をやってみたいって思いがそのときに芽生えて、事務所の社長に役者をやってみたいですと談判したんです。そしたら、えっ、何をいまさらって。そうですよね。40歳手前だし。でも、珍しく粘っていたら、社長がゴーを出してくれたんです。幸運だったのは、それなりの年齢だったということかな。新人の役者なんだけど、若々しくはないから邪険にされることもなかった。それなりに人生経験もしてきたわけだから、離婚もしたりね。年をとった新人ってことで、逆に面白がってくれたり。そんなこんなで役者として少しずつ経験を積んでいくわけです」
“私”という存在
「河瀬直美監督が、お芝居の出来る役者じゃなくて、自然な感じの演技を求めていたこともあって、主役に抜擢してもらったんです。ずっとモデルでは中途半端だったけど、役者の仕事ではじめて認められたというのかな。『朱花の月』でカンヌに連れて行ってもらったこともあって、そのあとは自然と声がかかるようになっていったんです。人生の分れ目があると言えば、最初に演技をした後に、社長にやりますって主張したことですよね。どちらかといえば、ずっと主張しないでやってきたんです。東京に行くって決めた以外は、流されるように生きてきましたから。演じることで自信が持てたというか。モデル時代からずっとHAKOって名前で活動してきたんですけど、大島葉子っていう本名で活動してもいいのかなって。長い間、宙ぶらりんだった私が、はじめて職業を口に出して言えるようになった。職業は俳優ですって」
(Instagram、Facebookで好評いただいた@enrica.revisite「enricaの紡ぐ人とひと」 Vol.6~たゆたい、歩き出す~ 外苑前(東京)の投稿のアーカイブです。)
Dec 27, 24 | from enrica